ある日の夕暮れ、私は途方に暮れていた。目の前のパソコンの画面を眺めては目を閉じ、また片目だけ開いてそーっと見て、また閉じる。脳内には何も映らずただの暗闇を感じて、私は盛大な溜息を吐いて机に突っ伏した。
「あああああ、もう!なんでこんなに大変なのよお!」
今までなんでもかんでもやってきてもらってきた代償が、肩にずしっと大きくのしかかる。
今回のニポマール王国への旅は、長期滞在になる。だから、ホテルのこと、食事のこと、交通手段、行く場所、調べることがたくさんあって目が回りそう。
初めてのことをするのに割に合わないくらいの情報量で、絶賛大後悔中である。いや、行くことに後悔はしていない。今まで何もしてこず、何も知らない自分に後悔しているのである。


「知ってる人からすれば、こんなこと容易いんだろうな…。ノアだったらきっと一日もあれば、済ませちゃうに決まってる。」
少しの絶望を感じながらも、自分で決めたことだからやるしかない。でも、何をどうしたらいいのかわからないっていうのが、本当に困りもので、無知とは罪であると深く納得した。

「うーーーーん。ぬあああああああ。」
頭を抱えて悶絶していたとき、ふと部屋をノックし、開く音がする。
「お嬢様、お茶をお持ちいたしました。」
「…ノア!」
神妙ななんとも言えない表情をしているノアを見て、自分の表情がとんでもないことになっていることに気付く。
「あ、ありがとう。いただくわね。」
慌てて表情を取り繕ったが、そっと机にお茶を置くノアの手が一瞬止まり、柔らかな優しい声が私の耳に届く。
「お嬢様、何かお悩みですか?」
ギクゥ!!な、なんでノアっていつもお見通しなんだろう…!!
「え?いや、んと、そんな?ことは?ないと思うけど?」

私をじーっと見つめるノアの瞳が私を離してくれない!私は目を背けて、お茶をすする。
「今日のお茶、いつもと違うわね。でもとても上品な味わいで美味しいわ。」
なんだか、とてもホッとするまろやかで風味豊かな味わいだった。舌の上でほんのりと感じる苦みは、人生の試練のように、一瞬たじろがせる。しかし、その苦味が消えると共に、それまで感じたことのない深い甘みがゆっくりと訪れ、私の心を解きほぐしていく。まるで、苦い経験が、その後の人生をより味わい深く、豊かなものにするように。こんなお茶は今まで飲んだことがない。
「お気に召したようで幸いでございます。こちらは、ニポマール王国で栽培されている茶葉を使用したお茶となっております。近々訪れる国の食文化に少しでも触れて、お嬢様の気分が高まればと思い、ご用意いたしました。」
「…!へ、へえ、そうだったのね。ニポマール王国ではこういうお茶を飲んでいるのね。私、このお茶が好き。ニポマール王国の食文化も好きになれるかも!」
そう伝えるとノアがニコニコと私に微笑みかける。そんな笑顔を見ていると、私の思い悩んでいた心もほろほろとほぐされていく。

「ノア…あのね…。」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな呟きを口からこぼす。私はもしこの声がノアに聞こえていたら、相談してみようかなと思っていた。聞こえていますように…聞こえていませんように…どっちつかずの心が揺れに揺れて、持っていたカップをぎゅっと握りしめる。
「はい、お嬢様。何かおっしゃいましたか。」

…!!
ノアに声が届いていたとわかった瞬間、張りつめていた糸が一気に切れて、崩壊したダムのように私の泣き言が溢れて出してしまった。
「ノアー!!私、自立するために今回の旅の計画を全部ひとりでやるって言ったけど、今までそんなことやったことなくて、何をどうしていいのかわからなくて、全然進まなくて。でもやるって決めたからやらなくちゃと思って頑張っていたけど、なんだか苦しくなってきちゃって。旅は楽しみなのに、計画が立てられないなんて、そんなの甘えだし、それじゃあ、なんの意味もない。どうしたらいいんだろう。」
私のハチャメチャな泣き言をノアはハッとした表情をしながらも静かに聴いてくれる。そしてしばらく私の言葉を咀嚼して受け止めたあと、まるで慈しむかのように目を細めて私に語り始めた。

「お嬢様、随分とお悩みだったのですね。それに気づかず大変申し訳ございません。ここで私の気持ちをお伝えさせていただいてもよろしいでしょうか。」
ノアが相変わらず優しい眼差しで私を見ている。私はこくりと頷いた。
「お嬢様は、自立されたいのですよね。それが目的で今回の旅も決められた。本当は一人で行く予定でしたが、私の要望を受け入れて同行することを許可してくださいました。」
「お嬢様にとって自立とは一人でなんでもかんでもできるようになることだと思われているのかもしれません。ですが、わたくしはそう考えてはおりません。」
私の頭の中にはてなマークがいっぱい浮かんでくる。ノアにとっての自立ってどういうことなんだろう。
「わたくしが考えている自立は自分の得意なことは他者のために貢献すること。苦手なことは他者に頼ること、だと考えております。人は決して一人で生きているわけではありません。必ずや他者との関りの中で生きています。そして、人には得手不得手があります。それは個性とも取れる素晴らしいものなのです。もし、誰しもが完璧であったら、他者と関わろうなど思うことはありません。それは言い換えれば孤独でもあります。しかし、人は苦手なことがあるからこそ、誰かと支え合い生きていくことができます。誰かの苦手は誰かの好きや得意であり、またそれは相手を生かすことに繋がるのです。」

ノアの一言ひとことがじんわりと優しく胸の中に響いていく。

「ですから、お嬢様はできないことがあるからと言って自立できていないと言うことではありません。実際にご自身で計画を立てようと試された。しかし、それが難しかっただけのことです。もしかしたら、ほんの少しの手ほどきがあれば、その後のことはできるようになるのかもしれません。もしよろしければ、わたくしが少しお教えするというのはいかがでしょうか。」
なんだか、目頭がじわっと温かくなった。できない自分にバツを付けていたのは私で、ノアはこんなにも私のことを認めてくれている。一人で頑張らなくてもいいんだという安心感に全身が包まれていた。

「そっか、そうだね。私、また一人で頑張ろうとしてた。また完璧にやろうとしてた。それは、今までこの屋敷の令嬢として完璧な自分であらねばならないと思って生きてきたのと同じことを繰り返そうとしてたんだね…。」
うっかり自分の心の内を声に出してしまっていた。

「あ!いや?!私は令嬢として?至って普通の令嬢として生活しているだけですけどね!」

「お嬢様、どこがわからなかったのか教えていただけますか。わたくしも同行するのです、一緒に旅の計画を立てましょう。」

う…。ノアは何も気づいてないよね。そう心で願いながら、一緒に計画し始めた旅がどんどん華やかに彩られていくことに、私の胸はときめいて、またワクワクした気持ちでいっぱいになっていくのだった。

投稿者 たれつゆのTOYBOXまにあ

オータクル国に住む、オタクです。愛と救済をテーマに小説を書いてます。 オタ活、推し活を気兼ねなく思う存分楽しみたいのに、なかなか難しい環境なので、無い知恵を絞りだしてなんとかかんとか。 ゲームと編み物を愛しすぎて中毒症状出てます!大好き!

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